飯田 哲也 第15回 数字が語る「制度の欠陥」 ──英国・豪州・日本の収益シミュレーションが映すもの
2026.06.01 コラム トピックス英国・豪州(南オーストラリア)・日本の3市場を対象に、100 MW/200 MWhの系統蓄電池が獲得できる収益スタックを簡易シミュレーションしてみた。同一CAPEX・同一LCOSで比べると、IRRは英国約9.2%・豪州約12.1%に対し、日本現状は約1.4%。この大きな落差の正体は技術ではなく制度設計――アービトラージ価値の抑圧、合成慣性・ブラックスタート対価のゼロ扱い、LTDA「6時間ルール」によるWACC人為的上昇、そして蓄電池を「需要の延長」として扱う法的位置付けである。蓄電池の「価値を見えなくする制度」が投資を阻んでいる構造を、数字で解剖する。
1. なぜ今、シミュレーションか
前号(第14・15回)では、日本の制度設計が蓄電池の価値を構造的に過小評価していることを、理論面から論じた。「統合コストの両義性」「WACC無視」「社会的便益の欠落」という三重の虚構が、あたかも蓄電池は採算が合わないかのような制度的現実を作り出している。
本稿はその議論を数字で補強する。英国・豪州(南オーストラリア州)・日本の3市場について、同規模・同コストの系統蓄電池を仮想的に設置し、市場構造の差が収益にどれだけの差をもたらすかを簡易試算した。モデルの詳細は本文末に注記するが、主要な前提と収益ドライバーは実際の公開データに基づいている。 念のため断っておくが、これは精緻な財務モデルではない。目的は「投資判断の精度を上げること」ではなく、「制度設計の違いが投資採算にどう効くか」を可視化することだ。数字の正確さより、差の構造が論点である。
2. モデル前提――3市場・同一仕様で比べる
比較対象は100 MW/200 MWh(2時間型)の系統蓄電池(BESS)。CAPEXは2025〜26年の実勢を反映して¥20,000/kWh(2,000億円相当)、O&Mは年率CAPEX×1.5%、耐用年数15年、割引率(WACC)8%、ラウンドトリップ効率88%で統一した。この前提下でのLCOSは3市場共通で約¥8.2/kWhとなる。
収益スタックは4層に分解した。①アービトラージ(スポット価格差活用)、②周波数調整・補助サービス(英豪ではFCAS、日本では需給調整市場の三次②相当)、③容量・アデカシー価値(容量市場または相当制度)、④合成慣性・グリッドフォーミング(GFM)価値。各項目の数値は後掲の市場データと公表報告を参照している(本文末の注記参照)。
3. シミュレーション結果
| 指標 | 英国(GB) | 豪州(SA) | 日本(JEPX) | 日本(改革後) |
| 前提条件 | ||||
| システム規模 | 100MW/200MWh | 100MW/200MWh | 100MW/200MWh | 100MW/200MWh |
| 想定CAPEX | ¥20,000/kWh | ¥20,000/kWh | ¥20,000/kWh | ¥20,000/kWh |
| O&M (年率) | CAPEX×1.5% | CAPEX×1.5% | CAPEX×1.5% | CAPEX×1.5% |
| 稼働年数 / 割引率 | 15年 / 8% | 15年 / 8% | 15年 / 8% | 15年 / 8% |
| 収益スタック(年間・対kW換算) | ||||
| ① アービトラージ | ¥5,800/kW-年 | ¥7,200/kW-年 | ¥2,100/kW-年 | ¥5,500/kW-年 |
| ② 周波数調整・補助サービス | ¥3,200/kW-年 | ¥4,100/kW-年 | ¥900/kW-年 | ¥2,800/kW-年 |
| ③ 容量・アデカシー価値 | ¥1,500/kW-年 | ¥2,200/kW-年 | ¥600/kW-年 | ¥2,200/kW-年 |
| ④ 合成慣性・GFM価値 | ¥800/kW-年 | ¥1,100/kW-年 | ¥0(制度未整備) | ¥900/kW-年 |
| 合計収益 | ¥11,300/kW-年 | ¥14,600/kW-年 | ¥3,600/kW-年 | ¥11,400/kW-年 |
| 事業性指標 | ||||
| LCOS(均等化蓄電原価) | ¥8.2/kWh | ¥8.2/kWh | ¥8.2/kWh | ¥8.2/kWh |
| IRR(税引前) | 約 9.2% | 約 12.1% | 約 1.4% | 約 9.3% |
| 投資回収年数 | 約 9.8年 | 約 7.6年 | 約 25年超 | 約 9.5年 |
| 収益十分性判定(IRR>WACC) | ✓ 成立 | ✓ 成立 | ✗ 不成立 | ✓ 成立 |
結果は一目瞭然だ。英国の合計収益¥11,300/kW-年、豪州¥14,600/kW-年に対し、日本現状は¥3,600/kW-年にとどまる。LCOSが同じで、IRRに8〜11ポイントの差がつく。
投資家から見れば、同じ電池を日本に建てることは「8〜11%ptの機会損失を引き受けること」に等しい。これが「制度の欠陥」の収益換算値である。
4. 差の解剖──「見えなくなっている価値」の四層
① アービトラージ価値の抑圧(価格ボラティリティの人為的縮小)
英国・豪州では、スポット市場の価格スパイク(英国:年200〜500時間・£100/MWh超、豪州SA:年300〜600時間・A$300/MWh超)が蓄電池のアービトラージ収益を下支えしている。対して日本のJEPXでは、容量市場が老朽火力の固定費を「制度的支払」で別建て回収するため、スポット市場での希少価格形成が抑制される。
結果として、価格スパイク時間は年30〜80時間程度に止まり、アービトラージ収益は英国比▲54%、豪州比▲71%に留まる。これは前号で論じたとおり、容量市場が蓄電池のビジネスモデルを制度的に解体している構図だ。「老朽火力を延命する費用を、蓄電池投資の採算悪化で払わせている」と言ってよい。
② 合成慣性・GFM価値のゼロ扱い
英国では2023年以降、グリッドフォーミング・インバーター(GFM)対応蓄電池に対して「Dynamic Containment」「Dynamic Moderation」といった高速周波数応答商品の入札が制度化され、¥800/kW-年相当の対価が市場価格として形成されている。豪州のFCAS市場は言うまでもなく、ホーンズデール以来の先進的な価格発見機能が確立している。日本では、合成慣性・GFMの対価は制度上ゼロである。需給調整市場の三次②にいくつかの付加価値は認められているものの、ミリ秒応答・GFM機能に固有の価値を市場で反映させる仕組みが存在しない。
これは単なる「ビジネスチャンスの逸失」ではない。系統が本来必要としている安定化サービスに対してゼロ価格を付けるということは、その調達を火力発電機の物理的慣性に頼り続けるインセンティブを温存させることを意味する。「合成慣性を価格化できない制度」は、即ち「脱炭素化を遅らせる制度」でもある。
③ 「6時間ルール」によるWACCの人為的上昇
第15回で詳述したとおり、LTDA(長期脱炭素電源オークション)第3回に向けて検討されている「最低放電時間6時間」要件は、2時間型・3〜4時間型の蓄電池ビジネスモデルを根底から破壊する。英国・豪州の制度が「市場が求める容量」(主に2〜4時間型)を柔軟に認めているのとは対照的だ。
投資家の観点では、6時間ルールは「事後的ルール変更リスク」として認識され、即座にWACCの上昇に直結する。欧州の研究(Wyszomierski et al. 2025)が示すように、WACCが5%から9%に上昇するだけでLCOSは¥2〜3/kWh上昇し、IRRは2〜3ポイント低下する。「ルール変更リスクのプレミアム」という目に見えないコストが、日本の蓄電池投資を二重に割高にしている。
④ 蓄電池を「需要の延長」として扱う法的歪み
第15回で指摘したとおり、制度設計WGとりまとめ案は蓄電池を「小売供給に類した供給」として位置付け、「需要の延長」扱いの余地を残している。これは複数市場への同時参加(スタッキング)を制度的に複雑化し、英国・豪州では当然のように行われている「エネルギー市場+周波数調整市場+容量市場の同時最適化」を阻む。
英国ではBESS事業者が「独立した市場参加者」として、Balancing Mechanism・BM(需給調整)・Capacity Market・短期OAT商品を自由に組み合わせることができる。豪州でも同様だ。日本の「需要の延長」という法的呪縛は、収益スタックを機能不全にする構造的制約である。
5. 制度的欠陥の構造──比較表
| 制度項目 | 英国・豪州 | 日本(現状) | 損失額(推計) |
| 価格スパイク頻度 | 年200〜500時間 | 年30〜80時間 (容量市場が抑制) | 収益機会▲70% |
| 合成慣性・GFM対価 | FCASで市場価格化 | 制度上ゼロ | ¥900/kW-年の機会損失 |
| ブラックスタート対価 | 競争入札で価格化 | 制度上ゼロ | ¥200〜400/kW-年の機会損失 |
| LTDA最低放電要件 | 3〜4時間型を標準認定 | 6時間ルール(検討中) | WACC人為的上昇 |
| 蓄電池の法的位置付け | 独立の柔軟性資産 | 「需要の延長」扱い | 多重市場参加を阻害 |
| 合計・対kW年換算損失 (IRR換算) | — | ▲¥7,700/kW-年 | IRRギャップ: 約▲8%pt |
表2が示すように、日本の蓄電池投資が英豪比で¥7,700/kW-年の収益を失っている構造は、技術の差ではなく制度設計の差の積み重ねである。一つひとつの欠陥は「そういうものだ」と言い訳できても、五つ重なれば「投資に値しない市場」という結論になる。
6. 「制度改革後」シナリオが示す可能性
表1の右端「日本(改革後)」は、以下の制度変更が実現した場合の試算だ。①同時市場整備によるアービトラージ機会の正常化(価格スパイク年150〜200時間相当)、②需給調整市場へのGFM対価の制度的組み込み(¥900/kW-年相当)、③LTDA要件の合理化(3〜4時間型を正式認定)、④蓄電池の独立した市場参加者としての法的位置付け確立。
これだけで、IRRは1.4%から9.3%へ跳ね上がる。技術的な追加投資は一切ない。制度を変えるだけで、日本の蓄電池市場は英国並みの投資採算性を持つ市場に変貌する。逆に言えば、現状の低IRRは「技術的限界」ではなく「制度的選択」の結果に過ぎない。
もちろん、制度改革は一夜にしては成らない。同時市場の設計・実装には数年を要し、GFM対価の制度化には系統運用ルールの改定が伴う。しかし方向性は明確だ。世界はすでにそちらへ走っている。
7. 投資家への問い、政策担当者への問い
英国のOctopus Energy傘下の蓄電池事業者、豪州のEnel Green Power傘下のHPR(ホーンズデール)運営者、米国のNextracker――いずれも「制度が整った市場」に巨額を投じている。翻って日本では、LTDAで1.4GWを落札した事業者が「6時間ルール」の検討報道を受け、投資スケジュールの再検討を余儀なくされているケースが出始めている。
投資家への問い:IRR 1.4%の市場で、8%のWACCを要求する資本がいつまで待てるか。
政策担当者への問い:制度を変えずに「蓄電池6倍」を達成する数字上の計算はあるか。
シミュレーションは、答えではなく問いを明確にするための道具だ。本稿の数字が「欠陥の所在」を示せたとすれば、次の問いは一つだ――誰が、いつ、何を変えるか。
【注記・主要参考データ】
・英国BESS市場データ:Modo Energy「GB Battery Storage Benchmarking Q1 2026」、National Grid ESO「Dynamic Containment入札結果2025年度」
・豪州SA市場データ:AEMO「NEM Quarterly Energy Dynamics Q4 2025」、ElectraNet「SA FCAS市場統計2025」
・日本JEPXデータ:JEPX「スポット市場約定統計2025年度」、広域機関「需給調整市場取引結果2025年度」
・CAPEX前提:BNEF「Battery Price Survey 2025」、BloombergNEF「New Energy Outlook 2025」をもとに日本市場への輸送・設置費を加算して推計。
・WACC前提:Wyszomierski et al. (2025)「The cost of capital in the energy transition」、IRENA「Renewable Power Generation Costs 2024」を参照。
・LTDAデータ:資源エネルギー庁「第2回長期脱炭素電源オークション結果(2025年3月)」
・合成慣性・GFM対価:Aurora Energy Research「GFM Value in GB BESS 2025」、AEMO「Inertia and Rate of Change of Frequency 2024」
・本稿のシミュレーション数値は政策分析・議論喚起を目的とした簡易推計であり、投資助言を構成するものではない。実際の投資判断には詳細なデューデリジェンスが必要。
本連載「バッテリー・ディケイド」は、EVを含む蓄電池とその周辺領域の歴史・技術・資源・地政学・市場などを取り上げ、バッテリー・ディケイド時代に知るべき「新しい蓄電池の教養」を解説する。特に明記しない場合、蓄電池(バッテリー)はリチウムイオンを指す。
